一勝九敗 柳井正

54歳。今まで経営小企業の成功物語を数限りなく呼んできたが本を書くのは経営の第一戦を引退し人生を総括するような年齢に達した時で十分であるし自社の経営そのものに多忙でそのような理由もないと思ってきた。 社外での公演も同様であり多くは引き受けてこなかった。しかし今会社も僕も転換期にあり形で何かを書き残すとしたら今しかそのチャンスはないと思い道筋を振り返ってみることにした。原点を今一度確認しこれからも一緒になっていく社員達とそれを共有したいと思った

ひふみ投信のカリスマファンドマネージャーの藤野英人さんがスリッパの法則で「自伝を書いてる社長は危険。その時点で成長が終わってるし、時間は本書くより事業に充ててる筈」とかかれていましたがまさにその通り、柳井さんは事業に邁進されてた◎社長のほうですね。

この本を書かれていた時は後進に社長を譲るつもりでいた時期だと思われ。…後に結局、据えた社長のガッツのなさが気に食わなくなって引き摺り下ろし、ヤナイさん自身が会長となってトップに戻っちゃいましたが💀我慢できなかったんだね💦

元々親類の多くが九州山口で洋服屋紳士服店をやっていた
父「何にでも一番になれ」と手を挙げられたりしていたので、生活のすべてをかけるような日々が商売だとすると僕には全然向いていないなとずっと思っていた。しかしユニクロの成り行きと父の生涯とは不思議に因縁があると感じている

小さい頃とにかく内気でおとなしく成績をあげようとも思わなかった。父は口には出さなかったが少なくとも洋服屋は継がせたかっていたようだし僕もなんとなくそういう具合になるのではと思っていたから、自分は将来こういう仕事をやってみたいと具体的に考えようとしなかったのかもしれない。

青年期特有の親への反抗心で東京を中心に大学受験→早稲田。学生運動の頃で一年半近く大学は封鎖されていた。卒業したものの就職するわけでもなくぶらぶらしていて5月に父の勧めでイオンに入社。包丁まな板を扱う売り場でセルフサービス型だったので仕事はほとんどが商品補充であり倉庫と売り場の往復だ。その後紳士服売り場に配属され、接客と商品補充が半分半分だったが仕事そのものが面白くなくこれをやりたいという明確な意思もなかったら2月には辞めた。東京に戻り友人の家に居候して英会話学校へ通っていたが半年ぐらいして父から「結婚を認める(現妻)から帰ってこい」という説得もあって8月に地元に帰る。

商売には売ることだけではなく毎日いろんなことがあったので面白みを感じてきていた。自分で考えて自分で行動するこれが商売の基本だと体得した。今でも初対面の人に会うとこの人は既製服ではどのサイズか胴回りがどれくらいかは見当がつく。

ユニクロの元は米大学生協?

紳士服は接客しないと売れない。セールストークから採寸まで技術や熟練が要求され同じ商品でもうまく勧めれば売れる。

カジュアルウェアは接客せずに売れる。が、売れないものは全然売れない

婦人服の店も経営したが粗利が低くトレンドサイクルが短かった。作ったりつぶしたりしていた。アメリカの大学生協に立ち寄った時に、売らんかなという商業的な匂いがせず、すっと入れて、欲しいものが見つからない時は気楽に出て行ける店がいいなと思った。

→今のユニクロの雰囲気そのものですね!

何故ユニキュロなのかのわけ

いつでも服を選べる巨大な証拠という意味でユニーククロージングウェアハウス 服に個性が必要なのではなく服はそれを着る人が着こなして初めて個性を発揮するもの

 

1988年3月の後日談、香港で現地の人と合弁で商品のバイイング会社ユニクロトレーディングを設立しようとしたときその人が登記する際に C をQに間違えてしまった。見たらその方がかっこいいので、UNICLOから変えた

まさか偶然からたまたまだったとは! そしてなんとなくの印象を大切に実行される方なのですね! カン、直感が冴えているというか。

店内のツールをまっすぐに幅広く鳥開放感のある天井の高い空間。狭く歩きにくい従来のファッション専門店にはなかったこと。
掃除の行き届いた店内に商品がいつでも整然と並べられていて適宜に補充される。しつこい接客をすることがなく質問されたい依頼された時だけきちんと答える。

肝キモ~ユニクロはなぜ低価格高品質が可能なのか

ここが一番、この本読んで、知れて良かったーという箇所ですね。

メーカーから仕入れてくる商品は安いが品質は二の次でメーカーを経由して海外で作ってもらうようになっても粗悪品が含まれてしまう。仕入れ値が低いのでまともな商品をきちっと作ろうとすると生産工場は儲からないからだ。こうなったら自分たちで本格的に生産管理し現地で直接作らないとダメだなと考え…

未だにユニクロの高品質なんてこんな低価格でありえないとおっしゃる方がいる、それはこれまでの衣料品流通の常識からすれば当然であるがその常識を変えたのがユニクロである。低価格で高品質を作ろうとしたら自分たちで使用を決め工場まで出向いて生産管理をするという最初から最後までやらざるを得ない

そうか、だからユニクロは小売業ではなく”製造小売業”に進化したのか…!!

柳井さん正直w

香港のジョルダーノのジミー・ライ。彼は僕と同じ年齢でパッと見大したことないおっさんだった。この人にできて僕にできないはずはないと思った。

本を読んでこの人ならと雇った会計士?(だったかな)の年下のセンセ―に対しても、会った時外見で(ほんとうにこの人に頼んで良かったのかな…)と思ってしまったらしい。

予定納税

2年続けて10億円利益が出たとすると6億円が法人税事業税地方税に支払われ、前年度の税金の半分の3億円を当年度の中頃に予定納税しなければならない。一瞬利益の9割が税金に消えるような感じである。急成長すると翌年度の上半期の資金繰りに追われてしまう。利益が出ていても金がなくなるのだ。銀行も担保がなければ貸してくれない。これで残る道は式を得るための株式公開しかなくなった。

何故、クラウドファンディングがあっても株式上場のシステムがあるのかわからなくて、わかりたくて調べてるんですが、その答えじゃないけれど、銀行に見初められる業種じゃないと融資されるのはスゴク難しいと言うこと、銀行に頼らず資金を調達しようと思ったら株発行になる、ということは知れました。フムフム。銀行はお金になりそうなIT新会社にはお金貸したがるけど、洋服屋小売業であるユニクロには、中国地方で名を馳せていた時点でも、貸し渋り状態だったようです。

銀行ww

バブル崩壊の真っ只中その銀行の融資先が何社か倒産したので恐れられてしまい「もう援助できない、他の銀行を当たって欲しい」と言われたので本当にそうしたら烈火の如く支店長に怒られ

支店長が他の銀行へ行けと言ったのは自分の所の銀行を返して他の銀行に相談に行けという意味であった。その支店長は、銀行は普通の会社とは違うのだとFAX を送ってきた。銀行から見ると融資先企業は自分の子会社と思っているのではないか。

2018年現在はスルガ銀行のようにあの手この手黒い手を使わな銀行も成り立たない時代ですが、1990年代の話ですからね、銀行はチョー殿様商売の時代です。

上場に向けてしたこと

安本先生「関係会社があるとどんな取引をしているのかの開示が必要になるし面倒な申請書類を余分に書くことになります。リスク情報がありすぎると株主は手を引きます」

上場のための親戚が絡んだ資産管理会社的な会社の整理が一番時間がかかったが1年半で生理した。

そして上場結果は、

IPO 株価つかず翌日に持ち越し

となって資金調達に大成功となった。2018年5月現在では、6月にメルカリ上場が控えていてそれがビッグニュースでございますね。merucariは莫大な資金を手に入れることになるけど、ハテそれでさらにどう展開するんだろ?

自営業者と経営者の違い

商売人は売ったり買ったりすることが自体が好きな人。経営者とはしっかりとした目標を持ち計画を立ててその企業を成長させ収益をあげる人のこと。

大和ハウス工業と組んで全国展開していった

 

大和ハウス工業が紹介してくれたひどい立地。オープン当日なのにお客様が並んでいなくてえらくゆるいオープンですねと言われ「あなたの所で紹介してきた物件でしょう」と言い返してしまいそうになった。しかし、最終的には当社専属部門を作ってくれて今のチェーン展開は大和ハウス工業のおかげである。

 

関東と北海道は似た地。関東人にとって我が社は関西から来たディスカウンター=安かろう悪かろうだと見られていた

都心型店は商圏がはっきりしないしチラシの効果が全くない。郊外型店であれば半径何キロ以内にどの程度の潜在顧客がいるか証券人口を把握し効果的にチラシをまく。例えば原宿店の商圏といえば全国。都心では様々な商品をいろんな店で売っている

ビルインなどのテナント店より郊外型店の方が買おうという目的を持ったお客様が来るので買い上げ率が高い

スポクロ・ファミクロの失敗

本来なら一箇所で済む買い物を3箇所回らせることになった。スポクロファミクロの品揃えのためにユニクロの商品を回して欠品がでて中途半端になった

フリース

商品の品質には自信があったがそれほど大ブレイクするとは思ってもみなかった。商売は結果論で勝てば官軍

まさか予想外の結果の大成功だったとは!驚

アメリカのゴールデンミルズという世界一の評判はフリースメーカーがあり、パタゴニアも同社の素材を使っていた。原宿出店以前はゴールデンミルズにユニクロの企画したフリースを別注して仕入れ5900円で販売していた。当時はユニクロが日本に一番ポーラフリースを輸入している会社だった。
最終的には東レから原料を買い、インドネシアで糸にしてそれを中国で織って染色・縫製する。数百万点と作ることによって低価格と高品質化が可能になった。

最初は六千円だったのが1000円になったのか…すげえ

スタートは資金さえあれば誰にでもできる簡単だがそれを事業として利益を上げる拡大再生産するというのはすごく難しい。先行している企業の真似ではダメで独自性が問われる

ユニクロってここ数年マジで生地よくて、なのになんでこんなに安いんだろ…柳井会長って創業者っぽくない顔なのにどうして牽引できるんだろうと疑問におもって柳井正さんの本を読み始めました。my感想としては「柳井さんは本来パワフルな人ではない・事業展開は運命」という気がしました。なので柳井さんの書くことは鵜呑みにしてもビジネス的には参考にならないのでは。大企業の歴史書、みたいな感じで面白いです。

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